Exploring the mysterious stone balls.

COSTA RICA。スペイン語で「富める海岸」。東はカリブ海、西は太平洋の美しい海岸線に囲まれ、中央には3000メートルをこえる火山がそびえ立ち、中米のスイスとも形容されるコスタリカ。
北はニカラグア、南はパナマに国境を接し、日本の四国・中国地方を合わせたほどの小さな国、このコスタリカでは、1930年代から今日まで大小220個ほどの人造石球が発見されている。
最大のもので円周8メートル。
ほぼ完全な球形をしたこの石球は、コスタリカでしか発見されていない。
古代マヤ、アステカの遺跡か?誰が、何のために作ったのか?謎につつまれた大石球群を求めて、コスタリカへ飛んだ。

コスタリカへ足を伸ばすことを計画した。

本誌「スフィアNo.9」(1996年3月発行)で、SF作家の南山 宏さんによる「コスタリカ 人造大石球群の謎」を掲載した。
南山さんによると、コスタリカでは1930年代初頭から大小200個以上の人造石球群が発見され、現地でそれを見てきたという彼の興味深い解説が書かれていた。
玉の博物館館長として、以前からその石球が気になっていた私は、実際この目で確かめてみたい、とずっと思っていたが、なかなかチャンスがなかった。
そうこうするうち、今年に入ってからアメリカとブラジルに行く機会があった。
1月22日からブラジルヘ行って、ブラジルの領事およびジェトロ(日本貿易振興会)の方と会談、その中でコスタリカの石球のお話をしたところ、同じ中南米の国同士で交流があるということで、コスタリカにおられる中南米ジェトロの所長である松田さんを紹介された。
さっそく松田さんとコンタクトした結果、ちょうど3月にスケジュールが合った。3月19日からアメリカ・アナハイムで開催される光通信関連の世界的イベント「OFC2001」に参加した後、コスタリカへ足を伸ばすことを計画した。

コスタリカの首都サンホセへ

マトラ社の中庭 

3月18日に成田を出発、OFC初日の19日に仕事、夜の打合わせパーティーを済ませロサンゼルスに泊まる。

翌20日、いよいよコスタリカ行きの日だが、ロサンゼルスからの直行便はなく、ヒューストン経由でコスタリカの首都サンホセへ、今回ボディーガードとして同行した堀越正男さん(ル・レザン オリファンのオーナー)とともに向かうことにした。

3月20日、ロサンゼルス、朝11時15分発のコンチネンタル航空でヒューストンに向かった。
所要時間3時間45分。
ヒューストン現地時間、17時45分発でサンホセについたのが夜の21時15分。
その晩は飛行場から一番近くにある有名なエラドゥーラ・ホテルに泊まった。

小林邸 

中南米ジェトロの松田所長の紹介で小林さんという現地に長い間住んでいる日本人を紹介された。
小林さんは今61歳、上智大学を出て現地に渡り現在、マッサージ師をやっておられる。
10年前から球に興味を持って、自宅にも石球が飾ってあって詳しいという小林さんの紹介で次の日(3月21日)の朝、まずサンホセ市内にある国立博物館、日本大使館、その他個人の邸宅、小林邸、サンホセ大学農学部など、石球のあるところ全てを車で案内して頂いて回った。

サンホセ市内 

円周8メートル以上、最大の石球 

ジャングルの村オサ

オサ村の昔の鉄道 

四輪駆動のジープに乗り、4人で午前中市内を回った後、石球がたくさん見つかっているコスタリカ南西部のジャングルの村オサに向かった。
7時間かかるということでスーパーで水とバナナを買ってジープを飛ばし、オサには夕方到着。
まだ明るかったので現地でもっとも大きいといわれる石を見に行き、巻尺で測定したら円周8メートル以上あった。
現地の方の話によると、「この近くの山の石に似ているので山の石を切ったのではないか」ということで、そこも撮影して石の残骸も持って帰ってきた。
オサは小さな村だが、村役場や昔あった鉄道の駅にも石球がいっぱい並んでいる。公園にも学校にも石球がたくさん並んでいる。
また、バナナ園があり、よく知っている現地の人じゃないと一度その中に入ってしまうと迷ってしまうくらいものすごく広大なバナナ園だが、その中にもすごい石球があった。

オサ村役場 

土に埋まって全体の8分の1くらいしか表面に出ていない素晴らしい大きな球だ。あいにくスコールに遭い、びしょ濡れになってしまったので村に戻って、あらかじめ予約してあった汚いホテルに入った。
一人一部屋と約束してあったが、狭い部屋に2人ずつおしこめられた。部屋にはベッドだけで水しかでない小さなシャワーが一つ、トイレはあるが水もろくに出ない。
ベッドに乗るとトカゲやいろんな虫がいる。夜中にはトカゲが鳴くし、眠れない一晩をすごした。
酒もないし夕飯も何もない。
水とバナナだけ。

ウトウトしながら次の朝(3月22日)4時くらいに起きてしまった。

オサ村のバナナ園 

オサ村の公園 

石球を追って無人島へ

シルベ川を下る 

朝は鳥の鳴き声がすごくて、水しか出ないのでシャワーも浴びることができずそのまま、食堂で朝食。
現地の虫が入ったような食事が出たので虫をよけながら食べ、朝6時にまた石球を探しに出発した。

昨日スコールで見れなかったバナナ園の石球を撮影してから、今度は無人島に大石球群があるという話を聞いたので、是非行こうということになりシルペ川の船着場へ向かった。
オサ半島というのがあって、目的の無人島へはそこから行くのが一番近いのだが、オサ半島まで行くのにジープがジャングルに入れないということで、川から下る以外にない。
シルペ川の船着場にはモーターボートが用意してある。
シルペ川はブラジルのアマゾンの支流のような、小さいがゆったりとしている。安全のため12人用のモーターボートにし、川を下ること40分。

無人のイスラデカニョ島 

河口付近には陸にくっいた大きな島・ピュヨワン島(昔、海賊モルガンが宝を隠したと言い伝えられている。)があり、そこを過ぎると急に波が激しくなって、太平洋に出た。
ものすごい波で大体1時間位というのに行けども行けども島が見えない。波がすごくて、1メートルくらい飛ばされ、ロープにつかまっていないと振り落とされそうだ。
途中、イルカの大群や魚の大群に遭ったりしているうち、よく見ると遥か前方に無人島イスラデカニョが見えてきた。
イスラデカニョ島は約400ヘクタールの広さで、日本人として私が初めて入った。

イスラデカニョ島のジャングル 

長方形の形をした島で四方は岩が切り立ち、砂浜が1カ所だけあってそこにモーターボートを横付けしたが、波でなかなか降りられない。
びしょ濡れになってやっと上陸。そこには監視場があって人がいた。
この島で石球が発見されてから自然保護区になり、キャンプをしてはいけない、やたらに物を持っていってはいけないということで、お巡りさんみたいな人が毎朝通っているとのこと。そこで地図をもらおうと思ったが地図はなく、入口にはいろいろな島の遺跡が飾ってあった。

モーターボートを運転してきた現地の人の案内で島の中を進んだが、島全体がジャングルで、道もない。山の中腹を分け入っていくと、トカゲがいたり、サルの泣き声がしたり・・・。

まさに無人島である。

途中に小さな石球やいろいろな遺跡があり、説明が書いてある。
保護区だからそれらを持っていってはならない、とか自然を大切にとか書いてある。
その近辺で大きな蟹を発見。
人間の手の平くらいの大きさで、すごく獰猛で、捕ろうとすると襲い掛かってくる。こんな山のてっぺんにどうして蟹がいるのか聞いたら「雄蟹で、雌蟹は海だろう」との答え。
行きは約1時間半、帰りは下り道のため1時間でやっと上陸した砂浜へ戻る。モーターボートで太平洋の荒波を突っ切り、シルペ川を遡って船着場まで帰った。

イスラデカニョ島のジャングル 

船着場のレストランでやっと食事。

よく考えてみたら食べ物も尽きてしまい、何も食べていなかったのだ。レストランにはチュチェカという赤貝で作った素晴らしい灰皿があった。
チュチェカは今はほとんどいなくなってしまった昔の赤貝でものすごく大きくて分厚い。
3月22日の行動をまとめてみると、オサ村のホテルを朝の6時に出発してシルペ川の船着場に7時20分、河口のピュヨワン島が8時、イスラデカニョ島に到着したのが9時20分。
9時40分から12時まで島の中を探検して、中型の丸石4個と昔、料理に使ったのではないかと思われるまな板を発見した。
帰りは12時半にイスラデカニョ島を出発して夕方、オサに着くという強行軍の1日だったが、オサに着いてから、またジャングルで石球を取材し、それからジープに延々と乗りまたサンホセに戻った。

サンホセからオサへ来る時は舗装されている山道を通ったが、それでも7時間かかった。
ちなみにサンホセは1160メートルの標高にある街で軽井沢のように涼しい。コスタリカには標高3432メートルのイラス火山もそびえたっている。
帰りに、近道はないかと現地人に聞いたら、海沿いの道があると言う。
海辺のオサ村から海沿いの道を進んだが途中で砂利道になって、かえってひどい目に遭ってしまった。夜の9時にジェトロの松田所長とサンホセのホテルで夕飯を食べる約束をしていたが、着いたのは夜の10時30分になってしまった。
それからホテルの中にある日本食レストラン「サクラ」を無理にオープンしてもらって食事をした。

いろいろな発見があった3日間

翌23日、サンホセ市内を見物して、夕方の飛行機でヒューストンへ、さらにヒューストンからロサンゼルスまで4時間くらいかかって、夜中に着いた。
コスタリカでは3泊、その間いろいろな発見があったが、私が実際にこの目で確かめて思ったことは、石球の下に台座があることから、これらコスタリカの石球群は宇宙から降ってきた隕石とかではなく、マヤ文明、アステカ文明などと何らかの関連のある古代遺跡ではないか、ということだ。
また、不思議なことにこれらの石球群は、オサ村のバナナ園、ジャングルと無人のイスラデカニョ島からしか発見されていないところから私は、おそらく大昔は今のオサ村近辺とイスラデカニョ島は陸続きで、島には人が住んでいたのではないか、と思っている。

もし私の大胆なこの仮説が正しければ、オサ半島とイスラデカニョ島を結ぶ線上(荒波の中、モーターボートで突っ切った太平洋)、つまり海底には、我々現代人の目に一度も触れたことのない真ん丸の石球群が必ず存在するはずだ。
いつかチャンスがあれば、この海底を是非探索してみたいという思いも日増しに強くなった・・・。

サンホセ市内 

古代コスタリカで、ほぼ真球に近い、この真ん丸な石球を、誰が、どのような目的で、またどのような高度な技術を用いて作ったのか、まだまだ謎は残るが、収穫の多い旅だった。

シルペ川の船着場周辺には真ん丸い石や砂利がいっぱいあった。
その真ん丸い石の幾つかをカバンに入れ日本に持ち帰る途中、アメリカの税関で「大砲の玉か?」と、足止めされ、カバンを全部開けられたが、結局は単なる石ということで一件落着。

コスタリカ現地でガイドをしていただいた小林さんの家にあった石球も1000ドルで分けてもらい、持ち帰って来たので、さっそく(財)石の博物館(奇石博物館)の学芸課長・北垣さんに調べていただいた。


北垣さんのコメントは次のようなものだった。

コスタリカから持ち帰った石球 

『玉の博物館の森戸館長がコスタリカより入手された球状岩石は火山岩です。火山岩は地下のマグマが地表、もしくは浅所で急冷し固まった岩石。地下深所から上昇する際、マグマは減圧されるのでガスが抜けて発泡します。ちょうどこれは栓を抜いたときにビールが泡立つこととよく似ています。この球状の火山岩も固まる時に発泡したことを、表面に見られるたくさんの小さな孔が教えてくれます。そしてこの孔は、この溶岩が水中ではなく地表を流れたことも暗示しています。一方、岩石内部に目をやると、白くて大きな短冊状の鉱物結晶(長石)が、黒く見えるガラス質部に埋められる様子(斑状構造)を確認できます。含まれる長石の量比等から判断すれば、この火山岩は粘性の低い玄武岩です。これはハワイ島のキラウエア火山、三宅島の雄山、伊豆大島の三原山、そして富士山の溶岩等と同種の火山岩です。これを裏付けるように、森戸館長が現地で撮影された写真の中には、粘性の低い火山岩が作る水飴状の溶岩(パホイホイ溶岩)が見受けられました。SPHERE(1996、No.9)へ南山 宏氏が寄せられた原稿には、球状岩石の種類について「一部の石灰岩製をのぞき大半が花崗岩製」と記されています。確かにシルペ川の河原から拾ってきたレキの中には、花崗岩ではありませんでしたが同種の深成岩である斑レイ岩が含まれていました。しかし今回入手された標本の中には球状の玄武岩も存在したという事実があらたに浮かび上がってきました。ただそれが人の手によって作られたのか、あるいは自然のものなのかは、現地にある多くの球状岩石の観察や周辺地質等を検討しないと何とも言えません。もし仮にこの球状岩石が天然の火山岩だとすると、それはもともと「溶岩球」であった可能性があることを最後に指摘しておきます。これは流れている溶岩の上を火山岩片が転がり雪だるまを作る要領で丸くなったものです。』

これからじっくりと時間をかけてコスタリカの石の成分をさらに詳しく科学分析してみようと思う。


(SPHERE 2001 No.16より)

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